ときどき、手がまったくダメな役者がいる。
演じているときの手が、生きていない。
手の動き、手の形、手の表情。
相手役に触れる手。
虚空に差し出す手。
自らを包み込む手。
劇のなか、演じる手が生きてこない。
そんなとき、稽古場では
「手に思想がないんだよ」とダメを出すが
手がダメな役者を変えるのは難しい。
人間のカラダの中で
目に次いで思考が露出するのは手である。
人類の進化の過程で
もっとも変化した部分が手と脳だ。
人間を人間たらしめているのは手である。
ただ、うるさい手は、劇の邪魔にもなったりする。
説明的な手、ありきたりな手、センスのない手。
歴史的に一番うるさかったのは
演説時のヒトラーの手。
あれは、他者を押さえつける手。
追いつめる手。
阻む手。
でも、手の形ひとつで
天地の理念をあらわすことも出来る。
仏教、陰陽道における印である。
シンボルを超えた宇宙的表現。
このさき100年後、
人間の言葉は、確実に変わっていくと思うが
人間の手はどうなっていくだろう。
手は寡黙になっていくか。
手は雄弁になっていくか。
いずれにしても
世界に向かって、開かれた手であってほしい。
他者に対して、開かれた手。
そして、多くのものを摘み取れる手。
パレスチナの国連加盟申請を見て
そんな思いを強くした。