九條今日子さんが亡くなった。
3月に朝倉摂さんが亡くなってから
まだ2カ月もたっていないのに、
池の下を長年に渡って支えてくださった方が
続けて泉下の人となった。
これまで池の下の寺山作品をほとんど
見てもらい、その度に感想を聞かせていただいた。
はっきりとした視点でアドバイスしていただくこと
もあった。ときには公演後、お酒の席にご一緒する
こともあり、天井桟敷時代のお話をいろいろと
伺ったりもした。
もあった。ときには公演後、お酒の席にご一緒する
こともあり、天井桟敷時代のお話をいろいろと
伺ったりもした。
九條さんとの出会いは
これも偶然ではあるが朝倉さんとはじめてお会いした
「アラバールの大典礼」の現場だった。
稽古場で音響担当のHさんを叱っているのを見て
怖い人だと思った。だからその後に寺山作品の
上演許可をお願いする際に電話で緊張したことを
覚えている。
はじめて池の下を見てもらったのは
「花札伝綺」だった。公演が終わって劇場の入り口で
九條さんが出てくるのを戦々恐々と待っていた。
私を見つけると近づいてきて、タバコに火をつけながら
「寺山が見たら喜ぶわ」と言っていただいた。
「この辺に酒屋ある?」と聞かれ、しばらくすると
ビール1ケースの差し入れがあった。
そのときから18回目の寺山作品「阿呆船」まで
毎回差し入れをいただき、励ましてくださった。
池の下が寺山作品を上演していく中では
さまざまな困難もあった。とくに初期の頃は
観客から天井桟敷の上演方法と違うとクレームを
言われることもあった。終演後に怒って舞台装置を
蹴って壊そうとする人もいた。しかし、それでも
寺山作品を続けて行こうと思えたのは、九條さんの
応援があったからだ。
池の下が寺山作品を上演していく中では
さまざまな困難もあった。とくに初期の頃は
観客から天井桟敷の上演方法と違うとクレームを
言われることもあった。終演後に怒って舞台装置を
蹴って壊そうとする人もいた。しかし、それでも
寺山作品を続けて行こうと思えたのは、九條さんの
応援があったからだ。
もう劇場に足を運んでもらえないと思うと途轍もなく寂しいが、
天国から寺山さんとお二人で見てくれていると心に思い、
これからも寺山作品を上演して行きたい。