あれから3年たった。
あのときから何かが変わった。
それは日常のすべてに影を落としている。
赤塚不二夫の『天才バカボン』でエピソードの最後に
パパが「これでいいのだ」とよく言うが、いまの日本で
「これでいいのだ」と心の底から言うことは難しい。
あの前とあの後では、演劇に対する考え方、感じ方も変わった。
あの後はしばらく何を作ったらいいか分からなかった。
いろいろ考えて迷い抜いたあげくに、至極シンプルな結論に至った。
それは、いまやる意味のある芝居をやろうということだった。
別段その前は意味のない芝居をやっていたわけではないが、
芝居を作る上での第一義がいまやる意味があるかということに
なったのだ。
それから2作品を上演した。
どちらもいまこの国でやる意味があると考えて作った芝居である。
その意味がどこまで観客に伝わったかは分からないが、
現在まさに起こっている事の不条理を劇の中に少しでも感じて
もらえたならば幸いである。
このさき池の下はどこへ行くのか、
なにを求め、なにを作り、なにを伝えていくのか。
これから池の下はたぶん演劇にはとどまらない表現活動に
足を進めることになるのではないかと思う。
演劇という枠を越えて、人間という存在の不条理を探り続けて、
そしていつの日にか「これでいいのだ」と言える世の中に
なることを願って、池の下は活動していくつもりである。