2012年3月2日金曜日

生きる意味

このところ、連続して暗い映画を見ている。
「無言歌」と「ニーチェの馬」である。
ともに、絶望的な状況下での人間を描いている。

王兵監督「無言歌」の舞台は、1960年代の中国西部
ゴビ砂漠の収容所。右派と見なされた政治犯たちが
まともな食料もない中で、強制労働をさせられている。
飢えを凌ぐために、ネズミを食べたり、有毒だと分かって
いる植物を食べたりする。
つぎつぎと死んでいく人たち。
だが、その死体も無事ではない。生きのびようとする人たちに
食われていく。極限状況でも、生きつづけようとする人間たち。
救いはない。だが、人間は生きている。そんな映画だった。
暗いが、砂漠などの映像は素晴らしく美しい。
悲惨だが、美しいから見入ってしまう、そんな魔力をもった映画だった。

そして、昨日みたタル・ベーラ監督「ニーチェの馬」。
ひたすら強風の吹きつづける荒れた大地に棲む
父と娘の6日間の物語。
父は、半身不随で服の脱着にも、娘の手をかりなければならない。
唯一の収入源であった荷馬車の仕事は、老いた馬が荷台を
引けなくなり出来なくなってしまった。
毎日毎日、一個の馬鈴薯のみの食事。
井戸は涸れて、やがて光も失われる。
ここで描かれているのは、神が死んだのちの聖家族の生活だ。
それをモノクロの長回しで延々と見せていく。
宗教画のような神々しさをもった映像美だった。

絶望の果てでも、人間は生きつづける。
なぜだ?
なぜなのだ?
そんな疑問が私をとらえる。
そして、それは、人間はなぜ生きるのかということに至る。

人間が生きる意味。
分からない。
分からないが、人間は生きていかなければならない。

「もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、
なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ。
・・・・・・それがわかったら、それがわたったらね!」

この台詞が書かれてから100年以上たつが
それはいまだに謎である。