2012年2月24日金曜日

生かされる言葉

忘れられない思い出がある。

まだ、自分が20代の頃、
大野一雄舞踏研究所に通っていた。
世の中は、小劇場ブーム真っ盛りで、演劇の世界に違和感を感じて
しばらく遠ざかっていた時のことである。

その日は、水曜日だったと思う。
いつものように横浜市上星川の坂道を登り、研究所についた。
だが、大野先生の自宅の横にある稽古場には
誰もおらず、自宅を訪ねてみると、今日は先生が風邪気味なので
稽古はお休みですと家の人から言われた。
そのとき、奥から大野先生が現れて
「いいから、ちょっと中に入りなさい」と言われ
自室に通してくださった。
そして、少し狭めの和室で海外公演のビデオを見ながら、
いろいろと話をしてくれた。
舞踏について、素材について、稽古について
そして、話の中で
「空なるものは満たされている」ということを言われ
しばらく沈黙が続いた。
私は先生の目を見て、先生は私を見ていた。
1時間くらいお話を聞いてから失礼したが
帰り道、坂を下りながら考えた。

空っぽのものは、ほんとうは満たされている・・・
これは一体どういったことだろう。
しばらく考えたが、そのときの自分はそれがよく分からなかった。

先日、10年ぶりに大野先生の「舞踏譜」を読み返していて
あらためて、あの時の先生の言葉を思い出した。
そして、愕然とした。

「空なるもので満たされた演劇」
それこそが、これまで演劇をやり続けてきて
ようやく行きついた結論であり、
あのときの先生の言葉は、20数年後の予言だったと。

私をじっと見つめる先生のまなざしによって
いまも私は生かされている。