2013年3月11日月曜日

復活の夢


あれから2年がたった。
あの前とあの後と多くのことが変わった。
それは被災地の人たちに起こったことに比べたら
極々些細なことかもしれない。
しかし、今でも確実に私の心のなかで
あの日を境に変わったものがある。

表現活動をする意味というものを常に考えるようになった。
表現として何かを残したいと考えるようになった。
表現の本当の意味での難しさを思うようになった。

しばらくは舞台を作ることが出来なくなった。
絵も描けなくなった。出てくるものは抽象的な言葉ばかりで
それが表現と呼べるものか分からなかった。
表現には他者が必要であるが、その抽象的な言葉たちは
自分の内面で共鳴するだけで、あえて鑑賞者を求めるもの
ではなかった。

あらゆる活動を停止して1年間、ほとんど冬眠状態で
過ごしてきた。そんなときに1本の台本と出会った。
はじめは台本自体も読む気がしなかったが、
一人芝居に近い形のその本は意外と素直に読むことができた。
読み終わってから、しばらくして夢を見た。
大きな建物の前に立つ一人の女性の夢を。
彼女はドラクロワの「民衆を導く自由の女神」のように
旗をもって立っている。絵と違うのは、彼女はたった一人で
導かれる民衆は誰もいないということだった。
私は何かに急かされるような焦燥感を感じ、
目が覚めた後もいたたまれない思いに悩まされた。
しばらくは何かに追われるような焦りを感じて、
変な夢ばかりを見ていた。
そのとき予感のように閃いたのは、
この状況から抜け出すためには、この台本で
芝居を作らなければならないということだった。
それは、ひとつの啓示のようなものだった。
それがあったために、1年間の停止状態から
脱却することが出来た。

今、あらためて考えて、あれがいったい何だったのかと思うが
その後の日本の状況をある意味で象徴している
夢だったのかもしれない。
10万人を越える参加者を集めていた国会議事堂前の反原発デモは
最近は参加者が200人くらいにまで落ち込んでいるらしい。

だが、私の夢のなかの自由の女神は
たった一人でも旗をもって立っていた。
一人でもはじめられる、一人からはじまる。
夢が教えてくれたのは、そんなことだったのかもしれない。