2011年11月6日日曜日

俳優養成は可能か

ジャック・ルコックのレッスン課題に「子供部屋」というものがある。

「長い旅路の末に自分が幼いときに過ごした子供部屋に戻ってくる。
昔のままのその部屋に入り、懐かしい家具や思い出の品々を見て
確認する。気がつくとベットの下に、おもちゃ箱がある。ひらくと
小さいころ遊んだおもちゃがたくさん入っている。ひとつひとつ
取り出して、遊んでみる。子供の頃を思い出して、だんだんと
遊びに夢中になり、次第に子供時代に戻ってしまう。
そして、遊びのテンションが頂点に達したとき、ふと気づく。
大人になってしまった自分に。
遊びをやめて、おもちゃを片づけ、部屋を出る。」

言葉を使わないレッスンである。
演じる人の感性が如実に現れる課題で
わたしはある意味で怖いレッスンだと思っている。

以前、この課題を山形の高校演劇の講習会でやったとき
高校生たちがやる遊びにアウトドアものが多いのに驚いたことが
あった。
東京の専門学校では、最近はおもちゃ箱からゲーム機を取り出して
遊び始める学生が出てきたりして、アクティブな表現が減ってきた。
その上、前の人がやった遊びを同じようにやる学生が出てきて
新たな表現が見られなくなり、この課題もそろそろ賞味期限が
過ぎて来たかと思った。

ところが、中国の上海戯劇学院の表演系(演劇専攻)の
1年生対象に2週間のワークショップをやったときに、この課題を
やったところ、めちゃくちゃ面白かった。
次から次へとエネルギッシュに遊びがいくつも出てくる。
思わず「ガラスの仮面」の北島マヤのオーディションを思い出して
しまった。
そして、遊びが絶好調のとき、ふと我に戻り、大人になってしまった
自分に気づき、部屋を出て行くところなどは、まるで映画の
ワンシーンを見るような素晴らしい表現があった。

このとき思ったのは、俳優養成は同じカリキュラムでもやる人間に
よって、まったく別物なってしまうということだ。

そして、今年2月にこの課題を再び専門学校でやったときのこと。
そのクラスは半分近くがお笑い志望だった。
彼らはとにかく笑いをとることだけを考えるので
結果としての笑いはいいが、まずはこの状況を生きるように言った。
しかし、結果は悲惨だった。
この繊細な課題が凌辱されるような受け狙いばかりが続いた。
さらには、俳優志望の女子学生がかなり集中度のある表現をしていた
のに対し、下世話な突っ込みを入れる人間が出た時点で
わたしは授業を中断した。
立ち上がり、教室の扉を開け、まるで子供部屋に入るように外に出た。

このとき、17年間やってきたわたしの俳優養成は終わったのである。