2011年12月15日木曜日

そして北へ

思い立って北に旅立った。

このような発作的な旅は、ここ20年ほどなかったが
今回は矢も盾もたまらずといった感じで
行ってしまった。
すべてから脱したい、そんな想いをもって。

新幹線で青森へ。さらに津軽線で三厩へ。
そうして最後は竜飛岬へ。ここが本州のどんづまり。
これより先は海に落ちるしかない。

高校生の頃から、ここには何度も足をはこんでいる。
何かに行きづまったとき、生きるのに迷ったとき
この北のはずれの海峡を見に来る。
自分にとってはひとつの聖地かもしれない。

激しい吹雪のなか、竜飛の灯台まで昇ると
荒海の先にかすかに北海道が見える。
飛翔するカモメのほかは誰もいない。
聞こえるのは風の音ばかり。

そんな中に雪をかぶった石碑があった。
以前、来たときはこんなものはなかったが
海を背景にした石碑の真ん中に赤いボタンがある。
なんだろうと思って、押すと
突然、「津軽海峡冬景色」の歌声が大音量で流れ出した。
石碑は、この演歌の歌碑だった。

石川さゆりには何の罪もないが
この荒々しい自然の風景のなかで
吹雪も、翔んでいるカモメも、海鳴りも
いっきにこのバチはまりのBGMを背負って
通俗の極みに転落した。

なんという異化効果だ。
感傷的な旅ごころに冷や水を浴びせてくれた。

しばし呆然としていたが
しかし、なんだろう
この大いなる裏切りの心地よさは?
あまりにバカバカしくて思わず笑ってしまった。

笑ってしまったところで、私の旅は終わり
日常への切符を手にしたのである。
でも、やはり竜飛岬は変わらず私の聖地かもしれない。
また、思い悩んだら、まっすぐこの北のはずれの海峡に来て
「津軽海峡冬景色」を流して
カラオケのイメージ映像と化してしまった大自然を満喫したい。

2011年11月6日日曜日

俳優養成は可能か

ジャック・ルコックのレッスン課題に「子供部屋」というものがある。

「長い旅路の末に自分が幼いときに過ごした子供部屋に戻ってくる。
昔のままのその部屋に入り、懐かしい家具や思い出の品々を見て
確認する。気がつくとベットの下に、おもちゃ箱がある。ひらくと
小さいころ遊んだおもちゃがたくさん入っている。ひとつひとつ
取り出して、遊んでみる。子供の頃を思い出して、だんだんと
遊びに夢中になり、次第に子供時代に戻ってしまう。
そして、遊びのテンションが頂点に達したとき、ふと気づく。
大人になってしまった自分に。
遊びをやめて、おもちゃを片づけ、部屋を出る。」

言葉を使わないレッスンである。
演じる人の感性が如実に現れる課題で
わたしはある意味で怖いレッスンだと思っている。

以前、この課題を山形の高校演劇の講習会でやったとき
高校生たちがやる遊びにアウトドアものが多いのに驚いたことが
あった。
東京の専門学校では、最近はおもちゃ箱からゲーム機を取り出して
遊び始める学生が出てきたりして、アクティブな表現が減ってきた。
その上、前の人がやった遊びを同じようにやる学生が出てきて
新たな表現が見られなくなり、この課題もそろそろ賞味期限が
過ぎて来たかと思った。

ところが、中国の上海戯劇学院の表演系(演劇専攻)の
1年生対象に2週間のワークショップをやったときに、この課題を
やったところ、めちゃくちゃ面白かった。
次から次へとエネルギッシュに遊びがいくつも出てくる。
思わず「ガラスの仮面」の北島マヤのオーディションを思い出して
しまった。
そして、遊びが絶好調のとき、ふと我に戻り、大人になってしまった
自分に気づき、部屋を出て行くところなどは、まるで映画の
ワンシーンを見るような素晴らしい表現があった。

このとき思ったのは、俳優養成は同じカリキュラムでもやる人間に
よって、まったく別物なってしまうということだ。

そして、今年2月にこの課題を再び専門学校でやったときのこと。
そのクラスは半分近くがお笑い志望だった。
彼らはとにかく笑いをとることだけを考えるので
結果としての笑いはいいが、まずはこの状況を生きるように言った。
しかし、結果は悲惨だった。
この繊細な課題が凌辱されるような受け狙いばかりが続いた。
さらには、俳優志望の女子学生がかなり集中度のある表現をしていた
のに対し、下世話な突っ込みを入れる人間が出た時点で
わたしは授業を中断した。
立ち上がり、教室の扉を開け、まるで子供部屋に入るように外に出た。

このとき、17年間やってきたわたしの俳優養成は終わったのである。

2011年10月16日日曜日

「コクリコ坂から」を見て

昔、日本映画では「母ものシリーズ」というものがあって、ハンカチ持参でご来場くださいとの宣伝文句があったように、ある意味見て泣くための映画だった。

自分にとって同じようなものがジブリだ。ジブリはいつも泣くために見る。が、今回の「コクリコ坂から」は泣くことが出来なかった。「コクリコ坂から」は確かに良くできた映画ではあるが、アニメだけができる何か突き抜けたパワーが感じられなかった。もちろん、すべてのアニメにそのようなパワーが必要だとは思わない。だが、1960年代の日本を懐かしむ「三丁目の夕日」的なものは個人的にあまり好きではない。

自分が生まれたあの時代、日本人は確かに真面目に健気に頑張って働いて生きていた。だが、それをいま全面的に肯定する事は、自分には出来ない。あの当時の日本人の頑張りが最終的に何を作ったのか?それについては、もう多くを語りたくはないが、結果的には効率優先の原発社会を作ったのではないか。

ジブリが好きだったのは、アニメにしか表現しえない日常を超越した世界と、自然に対する畏怖と共存があり、それを見ていると何だか泣けてきてしまうのだったが、今回はそういったものはなかった。なんだか狭くなった感じがした。さらには1960年代にだって嫌な奴は沢山いたし、分かりやすい悪人は今より多くいた。それを昔の人はみんないい人のような「三丁目の夕日」的回顧ドラマは、今の日本の悲惨さから目を背けさせるためのアイテムのように感じてしまう。もちろん、製作者側にそんな意図はないと思うのだが、日本の過去を肯定することは現状を容認することにも繋がると思う。日本人は常に過去に対してはあまいのだ。あの時代から原発開発の火ぶたが切られたことを忘れてはいけない。

2011年10月8日土曜日

考える足

膝痛をここ10年患っていた。
整形外科に行っても軟骨が減っているため
完治することは出来ないと言われた。
太腿の筋肉を鍛えることで痛みを軽減できると
いうので運動療法もやったが効果はなかった。

足につねに痛みがあると
歩くということに意識的になる。
歩き方にこだわる。
どうすれば痛くなく歩けるか
膝に負担のない歩き方はないだろうか。

あるとき摺足をしたら、まったく足に痛みがなかった。
腰をきめて、膝を曲げて、股関節からの動きで水平移動する。
しかし、日常でこの歩きをしていたら
かなり変な人だ。
さらに平面ではいいが、階段は登れない。

さまざまな歩き方を工夫したが
完全に痛みをクリアできる歩き方は見つからなかった。

ところが先日、
気まぐれで山のお寺に体験修行に行き
三礼という呪文を唱えながらひたすら起立平伏を繰り返す
膝にめちゃくちゃ負担のある修行を150セットやらされたところ
当初は山を降りれないくらい足が痛かったが
翌日、まったく膝の痛みが消えてしまった。
階段を登り降りしても、膝を過激に動かしても
ぜんぜん痛みがない。
これは何なのだ。
霊力か・・・

そして今でも膝の痛みは消えたままだ。
原因は分からない。
今度、またその寺に行って住職に
なぜ治ったのか聞いてみようかと思う。

だが、足の痛みがなくなると
足について考える時間もなくなった気がする。
考える足がなくなった。
だけど劇団の稽古メニューには
三礼が入る日も近いだろう。
「おん、さらば、たたぎゃた、はなまんな、のうきゃろみ」と
いう呪文も発声練習にはいいかもしれない。

2011年9月24日土曜日

手は口ほどにモノを言い

ときどき、手がまったくダメな役者がいる。
演じているときの手が、生きていない。
手の動き、手の形、手の表情。

相手役に触れる手。
虚空に差し出す手。
自らを包み込む手。

劇のなか、演じる手が生きてこない。

そんなとき、稽古場では
「手に思想がないんだよ」とダメを出すが
手がダメな役者を変えるのは難しい。

人間のカラダの中で
目に次いで思考が露出するのは手である。
人類の進化の過程で
もっとも変化した部分が手と脳だ。
人間を人間たらしめているのは手である。

ただ、うるさい手は、劇の邪魔にもなったりする。
説明的な手、ありきたりな手、センスのない手。
歴史的に一番うるさかったのは
演説時のヒトラーの手。
あれは、他者を押さえつける手。
追いつめる手。
阻む手。

でも、手の形ひとつで
天地の理念をあらわすことも出来る。
仏教、陰陽道における印である。
シンボルを超えた宇宙的表現。

このさき100年後、
人間の言葉は、確実に変わっていくと思うが
人間の手はどうなっていくだろう。

手は寡黙になっていくか。
手は雄弁になっていくか。

いずれにしても
世界に向かって、開かれた手であってほしい。
他者に対して、開かれた手。
そして、多くのものを摘み取れる手。
パレスチナの国連加盟申請を見て
そんな思いを強くした。

2011年9月18日日曜日

演出家の目

このところ、街ゆく人びとの姿を
よく見ている。
いろんな人たちがいる。
その人たちが、一体どんな人間なのかを
見ながら、想像している。

身体の特徴、歩きかた、しぐさ、表情から
その人が、どこに向かっているのか
その人が、どんな状況なのか
その人が、なにを求めているのかを
ひたすら、ひたすら
見えてくることから、想像する。

気づいたら、これは演出家の目線だ。

創造の場から離れていても
人間をいつもそんな目線で見てしまう
悲しいさがではあるが
楽しんでいるのも事実です。

そして、ひとつ思ったこと。
日本人に、いま携帯電話がなくなったら
一体どうなるのだろう。
街ゆく人びとの多い場合は半分くらいが
携帯を操作している。
人間の歴史のなかで
歩きながら、こんなにも道具を使っていた時代が
果たしてあっただろうか。

これが進化なのか、退化なのか、分からないが
携帯をちょっとしまって、まわりの世界に目を広げると
秋の気配が感じられたりもするのです。

2011年9月14日水曜日

演出家は耳

以前、利賀フェスティバル参加公演でのこと。
予定していた音響家が事故でNGになり、急遽代わりの人にオペを
やってもらった。
野外での公演だったが、このときの音響が最悪だった。
つねにレベルが大きすぎるか、小さすぎるか。
曲のあたまでポンと聞かせて、あとは役者の台詞の背景にスーッと
入っていくような音だしがまったく出来なかった。
場当たりで何回かダメを出すと、
「蝉の鳴き声がうるさくてボリュームが分からない」という。
言い訳をいうスタッフは最悪だが、この人は音響なのに自分の耳を
持っていないなと感じた。

ところで演出家は耳である。
演出家の耳とは何か?

それは鮮度のいい耳である。
稽古場で、同じ台詞を何回聞いても、同じ音楽を何回聴いても
つねに初めて聞くような鮮度をもった耳。
慣れない耳、忘れられる耳、孤高の耳。

耳のダメな演出家は台詞を聞くことが出来ない。
台詞を聞くというのは、単に発音の良し悪しを判断したりすることでは
なく、役が台詞を語っているか、台詞が役を生きているかということ。

自分で本を書いて演出をやっている人は、
往々にして耳の幅がせまい。
それは自分から出た言葉を役者に語らせているからで
自分というフィルターを通して、耳がせまくなっている。
これはきっと演出家の耳ではなくて、作家の耳ということなのだろう。

2011年9月11日日曜日

新たな企画

いま考えている企画がいくつかあるのだが、
それらを具体化するためには、クリアしなければならない課題があり
当面はそれを解決するための作業ということになりそうだ。

ところで、企画を考えるのは面白い。
次々といろいろ思いつくのだが、実現化するのは1割に満たない。
その理由は、資金的な問題も大きいが
これは助成金などが取れればクリアできることで
やはり一番大きいのは人材的な問題だ。

この企画、やりたいのだけど
やらせられるパフォーマーがいないということで
断念する企画が数多くある。

自分が納得できるパフォーマーとの出会いが
企画を具体化する。

だから、しばらくは時間をかけて
人材を探すか、もしくは作るかという時期に入る。

2011年9月8日木曜日

演出の隠れ家について

何から隠れるのでもない。
いまさら隠れることもない。

だが、演出というものは常に作品のなかに
隠れているような気がする。

池の下で初めてホームページを作ったとき
「演出の隠れ家」というコーナーを作った。
それからもう10年近く経つが、今度はブログという形で
はじめたいと思う。

何が現れるか分からないが
徒然なるがままに、かつ消えかつ結びたる
演出のよしなしごとを
あやしく、そして密やかに、書きつづりたい。